雪の上を歩くだけで・・・

あるパークボランティアの方と一緒に、ス ノーシューを履いて雪の上を歩いていた時のことです。 見るとザックから長いひもが伸びていて、その先に袋がくくりつけてあります。 その袋を引きずりながら歩いているので、 「なにをしているの?」 と尋ねると、 「アイスクリームを作ろうと思って」 とのこと。

1時間半ほど歩いた後、袋の中身を見せてもらいました。 なんと、ちゃんとできています。フワッとした口どけのアイスクリームです。

輝く新雪に足あとを刻む
輝く新雪に足あとを刻む

積雪70cm。乾いた砂のようにサラサラとした雪。突き抜ける真っ青な空。
今日の鹿沢は絶好のスノーシュー日和です。

落葉した冬木立の森を歩いてみましょう。そこはとても明るく開放的な世界です。
雪の上に落ちている花がらを拾ったり、動物の足あとを観察したり、新雪をキャンバスに見立てて絵を描いてみたり。
思い思いの楽しみが広がります。

窯の中の様子
窯の中の様子

11月25日に園地内にある炭焼き窯で炭焼きを行いました。 鹿沢インフォメーションセンターでは、園地内にある風倒木や、危険木として除伐されたミズナラなどを炭にしています。

朝 7時10分に火入れを開始。 煙突からの排煙温度が65℃になるまで窯口で火を焚きます。 ベテランスタッフの指導のもと、焚きつけをどんどんくべていきます。 ところが、いくらくべても温度が上がるどころか、煙突から煙すら出ません。 3時間ほどたち、ようやくうっすらとした煙が出始めました。 煙の温度を測ってみると13℃あります。

シラカバの幹に大きな鈴カステラのようなものが生えています。これはカンバタケ(サルノコシカケ科・不食)という大型のきのこです。

カンバタケはシラカバやダケカンバの倒木や立木に発生します。 傘は幅10~25cmになり、形は腎臓形、表面は淡灰褐色でなめし皮のような手触りがあり、裏は微細な管孔が緻密に並んでいます。

肉はコルク質で硬く、食用にはなりませんが、端正な形が目をひきます。

1991年にアルプスの氷河で発見された約5300年前の男性のミイラ「アイスマン」の革製の袋の中には、カンバタケとツリガネタケ(サルノコシカケ科・不食)の乾燥したきのこが入っていました。

ツリガネタケはほぐした状態で火打ち石とともに見つかったので、火を起こすための火口ほくちとして使われていたようです。一方、カンバタケにはひもが取り付けてありました。これがいったい何に使われていたのかよくわかっていませんが、宗教的な道具(お守り)や、膏薬(携帯救急セット)、ものを拭いたり磨くもの、などの用途が考えられます。

人間は5000年以上も前から、きのこを利用してきたんですね。

(F)

カンバタケ〔不食〕
鈴カステラ
写真:ナショナルジオグラフィック
アイスマンが持っていたカンバタケ
10月12日当センター前のつり橋から

10月13日 弱雨 気温9℃

鹿沢園地周辺の紅葉は今、最高です。

絵画を見ているような素晴らしい光景です。

明朝に大型台風の襲来が予想され、この葉が落ちてしまうかと思うと心配ですが、大事に至らぬこと祈るばかりです。

(T)

講話会の様子

紅葉が見頃を迎える10月11日から13日までの3日間、鹿沢インフォメーションセンターで「永遠とわなる小串おぐし ー 小串硫黄鉱山展 ー」が開催されました。

会場には鉱山の様子を伝えるパネルや写真、硫黄の鉱石標本、作業員が坑道で使ったカンテラなど約50点が展示され、パークボランティアが来場者に鉱山の概要と歴史について解説をしました。

週明けに予想される台風に備え、危険木の伐採作業を秋晴れの中で気持よく実施しました。これで安心して、お客様をお迎え出来そうです。

鹿沢園地周辺の紅葉本番です。例年よりも一週間ほど早めです。

カエデの赤、シラカバの黄、ミズナラなどの褐色。
そして、針葉樹の緑。

色鮮やかな木々があなたを待っています。

(T)

薪の玉切り

9/29 午前8時 快晴 気温9℃

朝7時の散歩会の気温8℃。明け方は、6℃程度まで下がっています。

秋晴れの空と澄みきった空気の中で 当センターのストーブ用に、薪の玉切り作業を気持よく行いました。

9/28 午前8時 快晴 気温10℃ 

鹿沢園地周辺の木々は急速に色付き始めました。

ヤマウルシ

野草園はヤマラッキョウ、リンドウなどの花々が咲く隣りではオカトラノオがきれいに草紅葉しています。

小串硫黄鉱山跡

群馬県嬬恋村の北端、長野県との県境にある毛無峠は、その近くにある破風岳(1999m)の名が示す通り、よく強い風の吹く所です。辺り一帯にはガンコウラン、シラタマノキなどが張り付くように生育する礫地の斜面が広がっています。

――ここは、本州の極地である。
この部落を過ぎて路は無い――

小説家太宰治(1909-1948)は、津軽半島最北端の竜飛岬を訪れ、小説『津軽』のなかでそう書き記しました。竜飛岬が本州の極地ならば、毛無峠は上州の極地と言える場所です。